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フレデリック・ヘンドリック (オラニエ公) : ミニ英和和英辞書
フレデリック・ヘンドリック (オラニエ公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

フレデリック・ヘンドリック (オラニエ公) : ウィキペディア日本語版
フレデリック・ヘンドリック (オラニエ公)[こう]

フレデリック・ヘンドリック(Frederik Hendrik van Oranje, 1584年1月29日 - 1647年3月14日)は、オランダ総督オラニエ公ウィレム1世の末子で、マウリッツの異母弟。母はウィレム1世の4番目の妻でガスパール・ド・コリニーの娘ルイーズ。父の政治能力と兄の軍事能力をバランス良くあわせ持っていたと言われ、オランダ共和国の内政・対外政策ともに中庸策をとって、国内の平穏と八十年戦争の終結に貢献した。
== 生涯 ==
継承前は兄に従い軍務をこなし、1625年に死去した兄から家督と総督職を継承、ホラント州ゼーラント州ユトレヒト州オーファーアイセル州ヘルダーラント州総督に就任した。また、兄が死去する前に結婚を命じたため同年に長年の愛人であったアマーリエ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルスと結婚した。アマーリエはドイツの伯爵家の出身で、オランダに亡命していたプファルツ選帝侯エリザベスの侍女をしていた。
就任直後にブレダスペインの将軍アンブロジオ・スピノラに奪取されたが、1627年から反撃を開始してフルーンロを奪取、1629年スヘルトーヘンボスも落とし、1632年フェンローマーストリヒトなどマース川流域の諸都市を奪い、1637年にブレダを奪還した。1644年テルネーゼンの都市サス・ファン・ヘントを、1645年フルストを奪取して南部国境の諸都市を奪い、ほぼ現在のベルギーとの国境までオランダの領土を拡大した。また、1639年に海軍提督マールテン・トロンプダンケルクの海戦ダウンズの海戦でスペイン海軍に勝利して戦争の終結を決定付けた。
外交も盛んに行い、1635年フランスと攻守同盟を結んで戦争を優位に持ち込んだ。三十年戦争におけるヴェストファーレン条約の成立にも尽力したが成立前の1647年に死去した。しかし、この条約によってオランダは国際的に独立が承認され、スペインとも和平が成立して八十年戦争は終結した。
フレデリック・ヘンドリックの正嫡の息子は1626年にアマーリエとの間に生まれたウィレム2世のみであり、このウィレム2世がオラニエ公と総督職を継承した。イングランド王ウィリアム3世となったオラニエ公ウィレム3世はその息子である。
娘達のうち、長女ルイーゼ・ヘンリエッテブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム(大選帝侯)と結婚した。5女アルベルティーネ・アグネスはナッサウ家傍系のナッサウ=ディーツ伯ウィレム・フレデリックと結婚したが、その孫ヨハン・ウィレム・フリーゾがウィレム3世の死後にオラニエ=ナッサウ家を継承し、現在のオランダ王家につながっている。
フレデリック・ヘンドリックはオランダ軍の総司令官として戦果を上げる一方、フランス風の宮殿を造営して華やかな宮廷生活を行い、ドイツ諸侯やイングランドのステュアート家と姻戚関係を結んだ。これによりオラニエ=ナッサウ家の地位は高まったが、同時に諸外国とオランダとの関係を複雑なものにした。結婚前に生まれた庶子フレデリックはウィリアム3世に従い、子孫はイングランド貴族のロッチフォード伯爵に叙爵された。
また、八十年戦争で従軍した甥のテュレンヌ子爵と大甥に当たるループレヒト・フォン・デア・プファルツは後にそれぞれフランス・イングランドで取り立てられ軍人として台頭した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレデリック・ヘンドリック (オラニエ公)」の詳細全文を読む




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